2017年05月24日

シャガ コチョウカ 雪割草 ロウソクの木

シャガ.JPG  苔玉シャガ.JPG
↑@ コチョウカ(胡蝶花)             ↑Aシャガを苔玉に。
シャガ、と言うのが一般的な花の名前なのだとか。
別名にコチョウカ、というのがあるらしい。

オイラには胡蝶蘭と同じに見えるので、胡蝶の花のコチョウカのほうがいいように思う。

薔薇などに四季咲きというのもありますね?
しかし普通には、花の類は一年に一度しか咲きません。

この「シャガ」(コチョウカ)もこの時期にしか咲きません。
好きなタイプの花なのですが、、、。

毎年ループして毎年、繰り返し咲くのだから、
「花の命は短くて苦しきことのみ多かかりき」(林芙美子)と詠われるように
はかない命、だからいいのかも知れません。

造花は新しいうちはそれなりにきれいに想うのだけど
いつまでも変わらない、花は人に‘飽き‘を感じさせてしまうような気もします。

「美人は三日で飽きる、ブスは三日で慣れる」・・・?                                     

ローソクの木.JPG  雪割草.JPG
↑B                        ↑C
BはハゼノキCは雪割草。
初夏の、夏の装いに成長してきました。

水をきらさなければ落葉の後、冬越し、冬眠から覚めれば
しっかり芽吹いて普通に葉っぱを広げます。

Bのハゼノキの鉢植えは雪が積らない所に移動してあったので
細い茎が潰れずに済んだ。

Cの雪割草は庭の隅に放置してあったせいで
雪に押しつぶされて芽吹きが遅く、花を咲かせられないまま
夏になってしまいました。

今年は雪が降る前に‘陽さし‘の下に取り込んでおこうと思っています。

名前は「雪割草」だけど豪雪地域のこの庭では積雪が多すぎて(除雪した雪も重なる)
雪融けと雪を割って花を咲かせるタイミングが合わないように思います。

「元気だば」は、植物のハナシが多い事もあって、つまらない、と言われます。

だけどオイラには長い冬の後なので、
植物たちの芽生え、成長ぶりが非常に楽しみなのです。

家の周りには一年中変わらない、常緑樹の杉の大樹がいっぱいある。

しかし、落葉〜新葉の緑を繰り返す、植物たちの「命の営み」の中に
「人生」を重ね合わせて、感じいるのです。

人と人との出会いも「一期一会」、大事にしたいと考えるようなものでしょうか。

限りある命が一生一度だという事と重ねて合わせて思うと、
後、何回この花を見れるだろうか?とも考える事があります。

オイラはこち地に越して来た時...
2015年の春に「桜」の苗を2本植えた(記念植樹、のつもりでした)。

その「桜」を目ざとく見つけた近所の「T」氏が
「お前、いくつまで生きるつもりだ?」と・・・。

桃栗三年柿八年...などとも言われるが(桃、梅、桜は植物の親戚)
「3年では花を愛でるほどには育たないぞ」とも・・・。

確かに、サクラの花は3年では一気に咲いてパっと散るまでには
成長しないと思います。

いいんです。
播かない種は生えません。
植えない木は大きく成る事もありません。

家敷に桜は植えるもんじゃない、「縁起が悪い」という俗説が
沖縄には在るそうだけど、
ここは沖縄じゃないから、いいんです。

「引っ越し記念植樹」なんですから・・・。


<泉重千代翁120歳長生養生訓>









posted by 大城茂櫻 at 02:23| 新潟 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事,写真.格言。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

初夏 熱中症 樹林 木立

P5220479.JPG P5220480.JPG
↑@                         ↑A
オイラん家の庭の隅に白花のヤマアジサイが1本ある。

隣に杉の樹やケヤキなどの大木があって、一日中ほぼ日陰げになっているせいか
あまり花が咲きません。

それでもけなげに白い花を5輪ほどつけています。

そんなこんなもあって、すぐ隣の杉の樹をチェーンソーを使い伐り倒した。
P5220475.JPG
↑B
根元をチェーンソーで伐った。
しかし、倒れません。

この杉のすぐ近く(3m)に家があるので
へたすると倒れた樹が屋根を壊しそうなので、間違っても
建物側に倒れないように杉の樹をロープで建物の反対側に引っ張っておいた。

おかげでヘタな伐り方なのに、(伐っても樹がたおれない)
真っ直ぐ立っている。

写真Bはその様子です。

分かりますか?
切り口の上にノコギリを置いてあります。

切り株の左側に建っているのが伐った樹の本体なのです。
真っ直ぐに立っています。

樹の上を見上げても何故倒れないのかよく見えません。

グルグル回って様子を見たら、この杉の隣のケヤキの大枝にもたれかかっているのが
確認できました。

そのケヤキの大枝は直径15センチはあろうかという枝なので
引っ張って倒れるほどのものではないようでした。

ケヤキの枝が伸びている方向へ引っ張れば倒れるのではないかと
ロープを張り直し、南京縛りというロープの張り方で引っ張ったら
ほどなく、ガサ、ガサと枝葉がすり合う音をたてながら倒れた。

この杉の樹をチェーンソーで伐ってから倒れるまでほぼ1時間かかった。

直径25センチ程度の樹でも伸びた枝があちこちに引っかかって、簡単には
倒れないのです。
いわゆる枝がかり、と言うヤツはたいへんなのです。
P5220482.JPG P5220481.JPG
↑C                      ↑D
Cの写真中央部に斜めになっているのが枝がかりしている杉の樹です。
写真Dの右端に写っているのが写真C中央部のナナメになっている樹です。
P5220474.JPG
↑E
よくビフォア.アフターというのがありますが、
写真Eの中央部にある杉の樹が写真Dで横になっている樹です。
写真Eはビフォアの写真です...つまり、切り倒す前の林の様子です。

1本の樹を倒すしたらまわりがけっこう明るくなりました。

この木立ちは我が「邸」の敷地の境界ぎりぎりに生えているモノたちです。
家敷の南斜面にこのような林があるのです。

この位置にある杉の樹を2本倒しただけなのに...。

これで植えてあるヤマアジサイの陽当たりが少し良くなったので
来年はもう少花をつけてくれるのではないかと、楽しみにしている。

チェーンソーを長い時間使い続けていると
腕が「白蝋病」という「振動障害」による腕の病気になる事があるそうです。

細かく激しい振動が腕に伝わって
腕の毛細血管が受ける振動によって障害が起きる症状なのだそうです。

年期が入り始めた我が身には1時間程度のチェーンソー作業でも
その振動障害を感じます。

食餌の時お椀を持つ手に軽いシビレを感じます。
職業病とは言え、山林労働者の苦労を感じさせられました。

チェーンソーの操作は見た目では推し量れない重労働なんですね。

なので、冬の火遊びの薪ストーブの燃料には
薪ではなく、竹を燃料にしたいのです。
(まだ、何でも燃やせるというロケットストーブは完成していません)

孟宗竹程度なら電気丸鋸や手ノコでも切り分けられるからです。

とは言え、上記で切り倒した杉の樹は裁断しないといけません。
それにはどうしてもチェーンソーは必要です...。

休み休み、やりましょうか・・・。


<泉重千代翁120歳長生養生訓>







続きを読む
posted by 大城茂櫻 at 03:12| 新潟 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事,写真.格言。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

コンサート 文化会館 独自 オリジナル

ホール天井.JPG カラオケ好き.JPG ホールステージ.JPG
↑@                        ↑A           ↑B
写真@は各種イベントホールの天井照明、音響設備の写真です。
写真Aはその入口のようす。
写真Bはステージ。

その名は胎内市産業文化会館。市が管理している施設のようです。
多目的ホール、と言われています。

何故多目的、と謳うのかと思ったので調べてみた。
ホール1階部分の座席数は476あるそうですが
全て折りたたみ移動でき、1フロア―に出来るような造りになっているそうです。

2階席は固定式の座席ですが...。

ホールの使用料は平日と土日祝日とで違っています。
土日祝日の方が当然のように使用料は2割ちょっと増しのようです。

使用団体が入場料をとる催時の場合は5割、10割り増しと言った料金。
大小の楽屋とかホワイエ(ロビー)などの使用料が別途でかかる料金体系に
なっているようです。

建造物の専門用語らしき「ホワイエ」の使用料金が別途あるそうですが
「ホワイエ」ってなんだろう、と思ったので調べてみました。

ホテルなどで使われている「ロビー」と同じような用途になっている
空間、フロアーのことらしい。

日本語でいえば玄関内広間、というような事でしょうか?

住宅でいえば、ベランダ、バルコニーといった
本体とは別の空間のことをさしているようです。

単なる通路ではないので「ホワイエ」という呼び名がついているようです。

あえて別料金になっているのは
この「ホワイエ」部分だけの「使用貸し出し」も想定しているからだと考えられます。

日本では「ホワイエ」と「ロビー」という呼び名は使い分けられているようですが
使われ方としては似たようなもののようです。

因みに「ホワイエ」はフランス語、「ロビー」は英語なのだそうです。

二つの外国語をカタカナ文字にして
使い分けているところが日本語ならでは、という気がします。

同じ事を表現するのに漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字と
文字表現で使い分けられているところに、日本文化のガラパゴス的要素が
多い理由の一つかも知れません。

「ガラパゴス」とは、
地球の東大平洋、赤道下にある「ガラパゴス諸島」のガラパゴスのことです。
「ガラパゴス諸島」には外部とは隔離されて独自に進化を遂げてきた動物が多いと言われています。

日本の携帯電話は海外の携帯電話と比べると独自に進化した機能がたくさんあるそうです。
しかし「ガラケー携帯」には外国の携帯電話の規格とは違う事が多いとも言われています。

世界共通の規格とは違う違う独自の、という意味で付けられた「携帯電話」の呼び名が
始まりのビジネス用語なのだそうです。

ガラパゴス諸島の生物たちのように世界的にも独自、という意味の「ガラパゴス」なんですね。

イベントホールのハナシが逸れてしまいました。

昨日の5月21日上記の会館で開催された「歌謡コンサート友の会」主催の
コンサートを観てきました。

友の会という看板で見られるように
手作り感いっぱいのコンサートでした。

この「産業文化会館」は立派なホールになっているのです
色々な設備があるようなのですがそれぞれに使用料が要るようです。

その使用料を出来るだけ少なくするためかと、思われるような事の一つが
音響設備でした。

「歌謡コンサート」と題しているくらいですから
音響機器が無い事には始まりません。

スピーカーアンプなどの各種音響機器は持ち込み、と思われ
ステージの上、客席中央部にいろいろな音響機器が設置されていました。

フロアーには当然のことながら、それらをつなぐ配線コードが
束ねられガムテープで貼りつけられていました。

入場料をとると使用料が5割10割増しになる、という事もあっての
入場無料なのかと思いながら出かけてみました。

お昼休憩前に胎内市の北隣、関川村出身の女性プロ歌手が
「ゲスト」出演してくれて、2曲披露してくれました。

趣味のカラオケサークル団体がまとまっての「ノド自慢、発表会」らしい
80数人ものステージ登場者がある「コンサート」でした。

(持ち込み音響機器)音響性能がいまいちななので
ステージ登場人物に、身内.親戚.縁者が一人もいない事もあり、お昼休憩時に退場。

因みに会場の開催時間は9:00から3:00ごろになっていました。


<泉重千代翁120歳長生養生訓>












posted by 大城茂櫻 at 03:43| 新潟 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事,写真.格言。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月21日

苔玉 自作 趣味 園芸

自作苔玉2..JPG 自作苔玉a.JPG 自作苔玉b.JPG
↑@                        ↑A           ↑B
這苔と苗の材料が整ったので
自作苔玉を増やしました。その数11個。

苔玉の材料は、這苔、ケト土、ピートモス、普通の糸です。

玉状にする土の配合の仕方は色々あるようですが
オイラは上記の2点にしてあります。

ついでにその土の性能品質について少し、触れておきましょう。
ケト土・・・あまり聴き慣れない名前だと思います。
      園芸用の特殊な土だが市販されているので特殊ではあるが 
      特別な材料ではないようですよ。      

ケト土とは、

葦、まこも、水生の苔など水辺の植物が枯れて水の底にたまり、長い年月をかけて粘土状に変化した土のこと。

苔類が積み重なって固まったピートモスと似たようなもの...。

腐食が進んで炭化しているので色は黒く、水を含むと泥のように粘り気が出ます。

乾燥すると硬く固まるので、苔玉や器と植物を接着したいときに使います。

植物が原料なので、栄養分が豊富なうえ、泥状なので水もちがよいことが特徴

腐敗したものなのでヘドロやカビのようなにおいがしないかと感じますが、特に匂いはない。


ピートモスとは、

水気の多い場所で育った植物を細かく砕いて乾燥させた土です。主にコケ類を原料としており、

自分の10〜30倍ほどの水分を吸収する特徴があります。

ガーデニングや園芸では、水もちをよくするための土(土壌改良材)として利用されています。

ピートモスの効果は3つ。

1.土質を酸性寄りに変化させる。

2.水もちをよくする。

3.土を柔らかくする効果。


ピートモスは、アルカリ性、中性、酸性と3つある性質のうち、強い酸性を示します。

なので、他の土に混ぜると土全体が酸性寄りに近づきます。

ふわふわと柔らかく水をたくさん吸収する性質がある。

なので、他の土と混ぜ合わせると土全体の水もちがよくなり、柔らかい感触になります。

                             「HORTI」ページより


上記のケト土とピートモスについての説明文は

他のページからの受け売りです。


いつものことですが、そのまんまの「コピペ」ではありません。

あえてオイラなりの編集をしてあります。


それはこのページに掲載するためだけではなく、

オイラ自信の勉強にもなるからです。


「ブログ」記事を書く技能の要素として

インプットされた情報がないと、アウトプット出来ない、

と言われているからです。


つまり、単純な「コピペ」ではなく、「コピペ」したのを

編集することで「コピペ」した内容を読者に伝えると同時に

オイラ自信も理解したいのです。


「コピペ」内容を理解できていないとその編集はできません。


「お前の記事はコピペばっか」じゃないかと友人から、苦言を貰う事があります。


参考「コピペ」は、その出どころを明示するのがマネーだそうなので

「コピペ」した元のページ名、タイトル名などを書いてあります。


確かめて下さい、元を辿れば、どこまで編集したかもわかるはずです。

でもあえて、リンクはしていません。


せっかく訪れてくれた方がワンクリックでどっかへ行ってしまっては

おもしろくありませんから・・・。


「コピペ」であろうとオリジナルであろうと

面白おかしく編集できていないと、読んでいる人にとっては、

つまらない記事でしょうけど・・・。


いずれにしても

残念ながらオイラには自分に関心が無い事を記事にする能力はないのです。


出来るだけ、いろいろな事に関心をもつようにしてはいるのですが・・・。



<泉重千代翁120歳長生養生訓>

http://agiiz.seesaa.net/archives/201702-3.html













  

  

続きを読む
posted by 大城茂櫻 at 04:42| 新潟 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事,写真.格言。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

野生 山 自然 子孫繁栄

野藤.JPG  P5180447.JPG
↑@タニウツギ                    ↑A野藤
写真@はタニウツギとかベニウツギと言う名の花木名。
写真Aは山藤・・・コンクリート製土堤のあちこちに
生えて花をつけています。

寒冷地のこの地でも季節は5月の20日。
色々な花が咲いています。

写真@のタニウツギ、も野生藤も繁殖力が旺盛なようで
コンクリート製土手のすき間にもタネが流れ着いて定着成長しています。

昨年、一昨年と許可をもらって隣の林の雑木の伐採をした事がある。その時に
木と木にまたいでからんでいたのが山藤でした。

園芸用の藤も染井吉野の桜も山、野生の種を改良した物ですが
野生とは自然に繁殖する能力がないと子孫が絶えてしまいます。

花を開きタネを実らせ、散乱するのは
子孫繁栄、命を活かすシステムの地球上の自然の法則。

山藤も蔓をくねくね伸ばして多くの花を咲かせ、タネを点けて
地上に落します。

地上に落ちたはずのタネがコンクリート製土手のすき間に入り込んで
新しい命を育てている。

水に流され、風の飛ばされ、鳥や獣のお腹に入り込み
想定外の地でタネが着生、育ちあがる、野生の逞しさ。

それが本来の自然なのですね。

それはそうと、山藤の件、、、。
雑木に限らず、植物は明るい太陽の光を求めて
あちこちに枝や蔓をのばしています。

そのために管理されていない山林では
山藤が杉の樹、雑木のツルがからんでいるのが少なくありません。

ですから、荒れた山林の伐採時には
前もって山藤のツルの根本を伐っておかないといけないそうです。

しかも根を伐った後、1年半以上の放置が必要なのだそうです。
昨年の伐採時に、何故なのかが分かりました。

蔓がからんでいる樹を伐り倒してしまい
蔓が枯れていないために、切り倒した樹が隣の樹からのツルに絡んで
地上に倒れず斜めに宙吊り状態になってしまったのです。

蔓がロープのように隣の樹にからんでひっぱっているようになるので
蔓を切離すのが非常に危険なのです。

からんだ枝などが予測のつかない弾み方をして
人間をなぎ飛ばす事があるというのです。
「死亡事故がよくあるそうです」

事前に蔓の根を切っておいても、完全に枯れるまで放置しておかないといけないのです。

いくら丈夫な蔓でも野生で放置されてあると、完全に枯れるという。
蔓の中の繊維が弱くなれば、切り倒された樹の重さでツルが切れるそうです。

山藤の太い蔓で造られた家具や、細い蔓で編んだカゴなどがありますが
丈夫なものですね。
タニウツギの花。
ピンク色の花がキレイですね。
この花はこのあたりの国道沿いでよく見られます。

植栽したのかどうかは分かりませんが...。


<泉重千代翁120歳長生養生訓>















posted by 大城茂櫻 at 04:08| 新潟 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事,写真.格言。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

慰霊碑 石碑 進め、止まれ。

戦死者慰霊a.JPG  慰霊塔裏.JPG
↑@                        ↑A
オイラが沖縄で見た事のあるのと同じ様な石碑が
中条という市街地の神社の隅に建っていた。

石碑に刻まれた文字は「昭忠碑」・・・・。
調べてみたが文字の意味、詳細は調べきれませんでした。

読谷村で見た「忠魂碑」と同じ意味合いのある石碑と思われます。

写真Aは@の裏側の写真ですが刻まれて文字が読み取れませんね。
中条町軍人会、、、というような表記になっていました。

こういう石碑は当時の国家政策であった
「富国強兵」に沿った物で、慰霊碑とは建前だけの物だったと思われます。

一人は万人のために、万人は一人のために、という精神ではなく
「滅私奉公」・・・個人の個性が全く無視された時代だったと考えられます。

戦地へ行ったら「お国の為なら死んで来い」つまり、生きて帰る事は
生き恥をさらすようなことに等しい時代だったようです。

生きて働き、国を発展させる事より、
国のために死ぬ事が誇り、名誉な事だと、強制された時代でした。

やむなく戦死させられた人々を「英霊」などと奉りながら
犬死にさせられた人達の命の尊さには全く触れられる事が無かった時代でした。

国が豊かになりすぎて、健康に楽しく生きて行く意味を感じられなくなった現代の
若者たちには「命」の大切さが分からなくなっている、とも言われています。

オイラのような世代になると
充分生き切った、と思える人もいると考えられます。

「青年は未来を語り、老人は過去を語る」と言われるような
語れる未来が無い時代になってしまったのでしょうか?
↑B 胎内市観光情報ブログより
上の写真はgoogle検索で表示されていたサイトにアップされたのを拝借しています。

冒頭に撮った写真はオリジナルですが
肝心の「市いち」の写真を撮り忘れていました。

写真Bの「いち」風景は毎月、3と8の付く日付の朝市なのです。
3.13.23、8.18.28の日付の時に開かれているそうです。

昔はかなりにぎわっていたそうです。

あちこちに大型のスーパーなどが出来た事で
朝市に来る人がだんだん少なくなっているそうです。

当然出店する人たちも減っているようです。

市場と言うのは賑わいが一番なのですが
能登の朝市のような観光客が来るような「朝市」は例外になりつつあるようです。

オイラは
家庭菜園用の野菜の苗をスーパーより安いのを選んできました。

「ゴーヤー」と「オクラ」をそれぞれ5個ずつ買った。
どちらも夏野菜で知られたヤツです。

今年も夏バテ解消野菜たちが順調に育つことを期待しています。


<泉重千代翁120歳長生養生訓>









posted by 大城茂櫻 at 06:07| 新潟 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事,写真.格言。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月18日

ボケ、惚け、惚れる?・・・。

籾苗.JPG 籾苗b.JPG
↑@                         ↑A
写真@の白いチラチラ状のものは
お米の籾から出てきた「芽」なのです、が、そうは見えませんね。

「闇夜のカラスは写りません・・・」
むかし、そんなコピーのCM.がありました。

カメラがデジタル化される前の事でした。

俗にバカチョンカメラとも言われていましたね...。
そのようにバカでも移せる、はずなのが現代のデジカメなのです...。

なのに写真@Aは、ピンボケになっています。

写真がボケているのですが、
情けない事に、アタマも惚けていました。

撮影時の状況を話します。
深夜、隣の部屋のガラス越しの明りだけ、そしてフラッシュ照明無し、、、。

カメラの設定方法に問題はありません。
接写モード、ストロボon・・・何度シャッターを押しても
フラッシュ照明が点灯しない...!なんと、「電池容量が足りません」と表示された。

デジタルの時代、電池容量が弱ければカメラは正しく機能しません。

それでもまだアタマはボケています。
カメラの充電はしたが、撮り直しをする発想はありませんでした。

うす暗くても写っているはず、、、と、SD.カードをカメラから抜き取り
パソコンに、そして「アップ」してみたら上掲写真@Aの通りです。

深夜に何んでカメラを?

ブログネタを思いついたから?、
いいえ、ブログネタ切れを凌ぐ為の苦肉の発想だったのです。

ここまで惚けられたら我ながら、感服します。
どうもならん!
悪しからず( ^ω^)・・・。
山百合.JPG
↑B
さて、写真Bは何を撮ったつもり、なのでしょうか?

写真中央部に写っているのは「ヤマユリ」なのですが・・・。
分かりませんね?

お隣の物置小屋の北側に昨年は、きれいな花を咲かせていました。
(花をつけるのはまだ先なのですが...)
今年も、、、と思うのですが、
日陰(小屋の北側)な事もあって、か弱い育ち方をしています。

今年の当地の初夏は5/18時でも最低気温が15℃にならない、
一日の最低気温の低温傾向が続いている事も関係があるかも知れません。

このあたりの平地部の陽当たりがいいところでもこの傾向は同じようです。

新潟市と大長谷(おおながたに)は東京都で言えば
日本橋と八王子くらいかそれ以上の気象の違いがあります。

全国の天気予報の場合は
新潟の表示は新潟県すべてではなく、新潟市.都市部の天気予報なのです。

困った事に新潟に住んでいるオイラでも
その表示に勘違いさせられることがあります。

なにせ、広い北海道の札幌〜釧路.間と同じような長さがある県なのです。

新潟県は陸路(道路)を端から端まで行くと南西〜北東に330`もあるのです...。
因みに、直線距離だと250`だそうですが...。

ハナシが逸れてしまいました。

通常のお米の苗籾は陽当たりのいいところで育苗用のビニールハウスで育てています。
しかも「籾」の時には芽が出るまでは、発芽促進用の暖房用具にセットしているそうです。

写真@Aは我が家の暖房を全くしない8畳サイズの台所です。
水浸漬でおよそ2週間でやっと芽が出てきた来たところなのです。

来年は発芽促進の器具を工夫したいと思っています。
プロの育苗用の催芽器具は40`の種籾用で66.000円します。
高いので電気毛布や電気座布団などの家電暖房器具とケースなどで・・・。

当地の平地部では今年の田植えはほぼ終えています・・・。


<泉重千代翁120歳長生養生訓>










posted by 大城茂櫻 at 04:27| 新潟 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事,写真.格言。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月17日

命 植物 動物 活き 

キッチンの人参.JPG 
↑@
小皿の上に人参根のアタマ部分を置いた。
しばらくしたら芽が出てきた。

このようなことはダイコン、などにも同じような現象があります。

人参の場合、写真@の左側が本体、のようなモノ。
写真右側の芽が出る部分が切り取られてもすぐには萎れたり、腐ったりしません。

動物だと、首をちょん切られたらお終い....死んでしまいます。
植物は簡単には枯れ死にません。
水、水分さえあれば、当分枯れずにいます。

根っこつきのネギの場合は葉っぱと茎の先端をきりとった
ヒゲ根の部分を水に浸しておくと芽をだしてきます。

ヤツ頭、などの芋類には、芋のあちこちに芽になる部分があって、
その部分だけ切り取っても、あるいは丸ごと、球根をそっくりを水に浸しておくと
芽を出してきます。

花木、草花でも同じですね。
切り花の花もちがいいとか、悪いとかはありますが
切り取られてすぐには枯れ始めないのが普通です。

植物と動物をひっくるめて「生物」→「生きているもの」と呼ばれています。

同じ命ある「生物」でも
その「命」の在りようは全く違っていますね。

トカゲの尻尾切り、というのがあったり、
髪の毛、爪先きなどは切り取っても命にはなんら差し支えがないという
植物のような部分が無いワケではありませんが。

生物にはそれぞれに「個性」があります。

型や形が揃っている道具や機械などと違い、一様ではありません。
人の場合、十人十色と言われるくらいの性格の違いがあります。

民主主義が当たり前の時代にあっては
人が生きるのにそれぞれが持っている「個性」というのが
活かされた自由な生き方をしている人がたくさんいます。

「戦後」強くなったのは「女性」と「靴下」だ、などと呼ばれた時代もありました。

その女性たちが結婚しないか、しても子供を産まない時代になっています。
世界の人間の人口が70億を超すほどに増えている時代です。

子供が少なく、年寄りが多くても仕方が無いのかも知れません。

お隣の、中国などは世界一人口が多い国だそうです。
そのため、ひと時は人口爆発などと言われ、結婚しても
子供は一人以上産んではいけない、という「一人っ子政策」が採られていました。

そんな国でも「一人っ子」規制は解除されているそうです。

自由に子作りしていい、という事ですが・・・。

「結婚」というシステムには、手続き、儀式など時代、民族、社会によって
色々なが違いがあります。

形はどうあれ、男と女、、、。
「雌と雄の惚れた脹れたのけだものごっこ...」という超硬派の感覚はともかく
生物の子孫繁栄のための一つの儀式でもありました。

人がこの世に生まれ落ちた時、
本人、親の好き嫌いに関係なく、男と女に分かれています。

「性同一障害」とか呼ばれる「オカマ」「オナベ」などは例外です。
例外とは言え「オカマ」同士の「結婚」が許される時代になってしまいました。

「結婚」が人間の子孫繁栄とは関係が無い時代になっている
あかしの一つ、かも知れません。

いくら人権が尊重される時代であっても「差別」と「区別」の違いは
ハッキリしないといけないと思います。

結婚しない自由、子供を産まない自由など
自由の在り方は「少子高齢」社会を造っている要素の一つです。

個性を大事にする「自由」「民主主義」は人類の子孫繁栄を妨げる考え方なのでしょうか?


<泉重千代翁120歳長生養生訓>














posted by 大城茂櫻 at 03:56| 新潟 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事,写真.格言。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月16日

苔 休眠 日照 命

苔採集.JPG 天然苔.JPG
↑@                         ↑A
天然の這苔を採ってきた。
写真Aのようにマット状になっていると苔玉にする作業が楽です。

苔は完全な日陰だと生えてきません。
いわゆる反日蔭状態が一番いい、生育条件なようです。

もちろん、その辺の空気に湿気が多い環境で在る事もいいようです。

下の写真BCのように這苔がキレイに生えているところはそうそうありません。
オイラの家の屋根にも同じ這苔が生えていますが生えそろい方が違います。

屋根の上は承知のとおり、瓦が波打っている事と
中途半端に陽が当たる事で均等には生えてはこれないようです。

家屋周りの杉の大木やケヤキの大木の枝による
陽の遮り方によってほとんどまばらに生えているところと
びっしり生えている所と分かれています。

どんな植物でも太陽の光は大事なようですが、
明るいのがいい、という事と、陽が当たり続けているのがいい、という事とは
事情が違うようです。
道路の苔a.JPG 縁石の苔.JPG
↑B                         ↑C
この道路は私道ですが、アスファルト舗装をしたばかりの時は
アスファルトの‘アク‘が強くて苔は定着できなかったようです。

この私道の舗装時期は分かりませんが
2年前はほとんど苔は生えていませんでした。

昨年の春ごろから目立ち始めて
今年の雪解け時には写真のように「這苔」が広がっています。

私道の道路左側は南面の土堤状になっています。
土堤のその先には杉林がある。

そんな地形のため道路の縁石部分には直射日光がほとんど当たりません。
夕日が沈みかける頃にようやく直射日光が当たる、という道路面です。

苔玉造りのための「這苔」採取なのですが、
マット状に苔を剥がしていたらある事に気がつきました。

写真BCで見られるように
縁石部(アスファル制)の上と側面、そして道路面では
苔の張りつき方に違いがありました。

道路面の苔にはほこりなどの土状のものがあり、
かなり湿度が高く苔の張り具合がゆるいのです。

道路面の苔はしっかり路面に張り付いていて
写真@Aのようにマット状に剥がすのがたいへんでした。

それでも「這苔」の這う、という意味が分かりました。

這う、とは難しい言葉でいうところの匍匐性ほふくせいの事なのです。
軍隊の訓練などの‘ほふく‘前進、という‘ほふく‘なのでした。

つまり、人が這いつくばって前に進む行動の‘匍匐ほふく‘と同じように
這うように成長する性質から「這苔」と呼ばれているようです。

つる性植物のように横に糸状に伸びていくように這う、という事なのです。

その性質のために縁石の上の部分には埃や湿気が溜まりにくいようで
苔の根っこのようなのが貼りつき方が弱いのです。

おかげでたくさんの苔をマット状に剥がす事ができました。
少し欲張って採りすぎたように思いますが。


<泉重千代翁120歳長生養生訓>








posted by 大城茂櫻 at 02:48| 新潟 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事,写真.格言。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

旬 初夏 春

田の草花.JPG  こちらの春.JPG
↑@                        ↑A
季節の呼び方は人が勝手に呼ぶので決まりがあるわけではないようです。
とは言え、目安と言うのはあるようです。

当地の雪融けと、暦の季節とは必ず一致していないので
季節の事を語るには戸惑いがあります。

暦は西暦556年に朝鮮経由で中国から持ち込まれた概念だとか。
暦は人々が生活するのに一年を刻む指標になっています。

冬至を一年の初めとする考え方もあるそうですが
現代では一般的ではありませんね。

冬至から夏至までを一区切りにして×2で一年という考え方のようです。

冬至は一年の内、一番夜が長い日。
夏至はその逆で一年で一番昼が長い日というので付けられた名前だといいます。

「冬至」は冬の極みに至った日、とも思えますが、一年で一番寒いというワケでは
ありませんね。冬の本格的な始まりという季節なのですが。

冬至になった次の日からいきなり昼が...太陽が出る時間が長くなるワケではありません。
少しずつ、少しずつ長くなって・・・季節が変わっていくのですね。

よく季節と暦の日付とはズレがある、と言われます。
その大きな理由には暦が作られた地方(中国、華北地方)の季節との違いにあるそうです。

季節は地域によっても常に移ろって、変化するモノなのに、
暦は決まった日付通りに巡っているからとも考えられます。

大型連休と呼ばれた季節に5/5のこどもの日というのがあります。
(昔は端午の節句と呼ばれていたそうですが...)

その日付を境に春と夏が分かれる、と、歳時記の目安になっている
と言われています。初夏(5/6〜6/5)とも言うそうですが。

今日は5/15なので初夏の真っただ中・・・。

染井吉野や八重のサクラが散った後に、タンポポなど
次々にいろんな草花が咲き始めています。

季節は初夏と呼ぶようですが、こちらではホントの春の様な気がしています。
イモ袋栽培.JPG  芋袋栽培b.JPG
↑B                        ↑C
冬場の暖房ハウスのつもりで建てた小屋にもそれなりの陽が
差しています。

写真BCはじゃが芋ですが、それなりに育ってきました。

昨年は水耕栽培を試みましたが失敗してしまい
一株に1個の芋だけしか付きませんでした。

今年は普通に培養土で育てています。

大きい鉢を揃えるには出費が嵩むので
買って来た培養土に少し、腐葉土を混ぜ種イモを植え付けてあります。

一昨年、植え付けたジャガイモが成長したところを
野猿に全部、引っこ抜かれてしまった経験がある。
なので、露地栽培はできないのです。

ネットのあるサイトに
「野菜は買った方が安い」というタイトルのがありました。

基本的にはその通りだと思います。

じゃが芋などもその例の通りで植え付けた種イモの数より
多くの収穫を挙げられるようでなければ、「元」が採れません。

家庭菜園は「趣味」の要素が大きいモノです。
「元」が取れるかどうかで、考える道楽ではありませんが。

趣味=道楽なのですから、コスパ→費用対効果などを
勘定にいれたら、何にも始められません。

どんなプロでも初めはみんな素人(しろうと)なのですから。

数多くの経験を積んで、技術、技量があがって初めて
プロ並みに費用対効果が図れるのではないかと思います。

植物は、タネ、苗などから成長していくのを観察する楽しみがあります。

そして、収穫の楽しみもあります。

植物には犬猫などの動物のペットには無い、命の営み、成長ぶりの楽しみがあります。
ケールの苗床.JPG アサガオ.JPG ケール.JPG
↑D                      ↑E          ↑F
写真Dは青汁で有名な「ケール」のタネを播いた苗箱です。

野菜苗は写真Eのようにポットに種を播くのがいいのですが
少し横着して箱に培養土を詰めて種を播いておきました。

ケールが移植栽培に向いているかどうか分かりません。
いずれにしても苗床から芽が出て来るのを見るのは感動します。

少しずつ土を押し上げて子葉、本葉と成長してくるのがいいですね。

土をかけ、水をやり、光を当てるなど、人が手をかけてはいるが
人が野菜を育ててはいません。

植物が育つのは種が持つ力だけです。
その成長していくサマには人の力ではない、
見えない命の営み、というのを感じさせられます。

命は人がコントロールできるものではありません。
その命が持つ力を助けてあげられるだけです。

植物に限らず、人の病気もお医者さんが治すのではありません。

どんな名医でも「薬石効無く」・・・と言われるような事があるように
心臓の動き、脳波の動きをコントロールはできないのです。

心臓の鼓動、脳波の流れはその人の持つ命の力なのです。

脳波の動きの停止を人の「死」とする事の是非はともかく
心臓の鼓動があって、身体が暖かいうちに切り取り
他の人の心臓と入れ替えないと心臓移植は成功しないそうです。

このような心臓の鼓動がある時に臓器を切り取ると
麻酔を打たないと、生身の身体は痛いと感じるようで暴れるそうです。

つまり、生きて(活きて)いるワケです。

「脳波」の動きが止まってしまうと
万が一にも「奇跡」が起きて生き返ることは無い、と言うのが
現代の医学の考え方なのです。

「奇跡」を起こせるのは「神」しかいません。
なのに「奇跡」を祈るような治療をする事が多い現代医学・・・。

万物を創造したのは「神」ではないか、と言われますが
医者は神ではないのです。

「死ぬ事を忘れた日本人」とか、
「昼寝して、夜眠れぬと医者に言い」というような
医者通い、をする年寄りにはなりたくありません。


<泉重千代翁120歳長生養生訓>












posted by 大城茂櫻 at 02:51| 新潟 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事,写真.格言。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする